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歴代の主な京劇俳優一覧
刀馬旦・武旦
閻嵐秋(1882-1939)
芸名を「九陣風」。北京人。清末の有名な旦・閻金福の息子。 幼い頃に小天仙科班に入る。卒業後、福寿班に入り、方二群から指導を受ける。武旦として演じるに当たって「飛来風」という芸名で公演し評判を得る。後に「九陣風」と改める。北京に戻ってからは同慶、双慶、中興、鳴和班で楊小楼、兪振庭、余叔岩、高慶奎、尚小雲、程硯秋らと共演。妻の父である朱文英から指導から影響が強く受けた。中華戯曲専科学校で教鞭をとり、宋徳珠、陳金彪らに指導した。
朱桂芳(1891-1944)
本名を裕康、字を雲培、芸名を「小四十」。武旦を演じていた父の朱文英(1860-1928)の芸名「朱四十」に由来している。原籍は蘇州、北京生まれ。 幼い頃に家で学び、長春科班に入って武旦を学ぶ。卒業後双慶社に入り、後に梅蘭芳、余叔岩、徐碧雲の劇団でも公演した。最年少で昇平署にも選出され、1919年の梅蘭芳と共に日本に赴いて公演した。
宋徳珠(1918-1984)
本名を宝禄、字を穎之。原籍は天津、北京生まれ。 1930年に中華戯曲専科学校に入学。閻嵐秋、朱桂芳、張善亭らから刀馬旦、武旦の芝居を学び、余玉琴、郭際湘、荀慧生、程硯秋らから指導を受ける。1938年に卒業後、穎光社を組織して各地で公演する。1960年に河北省京劇団に入り、河北省芸術学校で教鞭をとる。芸域が広く、武旦、刀馬旦を主としたが、花旦も演じた。宋派を伝える俳優は数多く、その中でも娘・宋仁菊は父の芸風をよく受け継いでいる。
老旦
Gong[龍+共]雲甫(1862-1932)
名をyuan[王+爰]、世祥。満族。北京人。 もともと玉器工芸を学んでいたが、京劇好きで南宮園華蘭習韵票房で老生の唱を学んだ。孫菊仙から招かれて四喜班に入り、熊連喜から老旦を学ぶ。後に楊小楼や梅蘭芳の劇団にも参加した。初期の老生、丑が老旦を兼ねて演じるといった流れを打破し、老旦としての役柄を確立させた確かな芸風を持った。趙静塵(臥雲居士)、文亮臣、李多奎らがその芸風を受け継いでいる。
李多奎(1898-1947)
本名を李万選、字を子清。北京人。 幼い頃、慶寿合班でbang[木+邦]子の老生を学んだ。後に三楽科班で京劇の老生を学ぶ。声変わりの頃は京胡を学んだ。ノドが回復してからは羅福山に拝師。老旦を演じるようになり、Gong[龍+共]雲甫から指導を受ける。Gong[龍+共]雲甫が舞台を離れてから、Gong[龍+共]雲甫専属の琴師だった張延庭が伴奏するようになって芸に磨きをかける。程硯秋、金少山、高慶奎らと共演した。中華人民共和国成立後、北京京劇院に入り、馬連良、譚富英、張君秋、裘盛戎らと共演する。李盛泉、李金泉、李多芬、李鳴岩、王夢雲らがその流れを汲んでいる。 |