|
京劇の基礎知識 1.京劇事始 京劇って何? 中国の伝統劇な演劇全般を「中国戯曲」と言い、京劇はその中のひとつ。中国は広い。漢字によって文化圏はまとまっているものの、地域によって風習や言葉が異なる。地域ごとの色合いの違いは演劇にも表れている。「京劇」は中国戯曲の最も代表的な演劇で、それ以外の地方の伝統演劇を「地方劇」と区別して言われるのが一般的。 京劇のはじまり 「京」とつくからには京劇は皇帝の住まう都・北京の演劇である。北京という呼称で首都になったのは明代からで、京劇が形成されたのは満州族王朝の清代。数ある伝統演劇の中でも遅い方である。というのは、あらゆる地方劇のイイトコ取りをして出来てきた最も醸成、洗練された演劇なのである。 当時の皇帝は乾隆帝、複雑な民族統治を見事にこなして国を安定・発展させた名君である。乾隆帝はたいそう芝居が好きだった。当時交通の要所だった揚州は、人と物の往来が盛んであった。人が集まって賑やかになれば娯楽も発達する。乾隆帝が八十歳を迎えるに当たり、塩を売買する商人たちが誕生祝いとして流行りの劇団を北京に連れてきたのである。それが1790年のことであった。この劇団というのが「徽班」(安徽省一帯の地方劇団)のひとつ「三慶班」と言う劇団であった。徽班の一座が北京に入ったのを「徽班進京」と言って、その200年後にあたる1990年にはそれを記念して討論会や公演が相次いだ。 当時の北京の舞台は昆劇や河北bang[木+邦]子などがあった。しかし最新のエンターテイメントの登場はたちまち北京の庶民を虜にし、その成功を聞いて他の地方からも劇団がやって来た。北京の観客にもっと受け入れられるために言葉も芸風も改良を加えて、異なる劇種、劇団同士でも共演を重ねていった。こうして京劇として形を整えられていったのである。徽班が北京に入った1790年を生命の誕生、それから1840年頃までを母親の胎内で育つ胎児というふうに京劇の成り立ちを人の誕生に喩えることもある。 全国的に「京劇」という呼称が定着したのは中華人民共和国成立後となる。 |
Copyright 2002-2005 meiyuan
次を見る
ホームに戻る
2002/09/01