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コラム―梨園ものがたり

名優・周信芳の芸名 

 周信芳(1895-1975)は民国時代、主に上海を舞台に活躍した俳優です。数々の逸話を残す名優で、そのひとつに上げられるのが芸名です。

 幼い頃から師について芝居を学び、主演として初舞台を踏んだときは七歳であったことから芸名を「七齢童」として、その名を上げました。のちに芸名を同じ発音の「麒麟童」(チーリントン)に変えて上海で本格的に活躍し、更なる飛躍を遂げました。周信芳の芸風は「麒(麟童)派」と呼ばれています。この芸名に関してちょっとしたエピソードがあります。

* * * * *

 文化大革命の最中、周信芳は隔離されて尋問を受けていた。

 ある日、造反派を立件する検察官に連れられて外部から審査官が周信芳に面会に来た。その審査官はある人物の名前を書いて周信芳に見せ、知り合いかどうかを訊ねた。周信芳はしばらく考えてから、知らないと答えた。

 「この人はお前を知っているというのに、どうしてお前はこの人を知らないんだ?」

審査官がそう言うと、検察官は大声で責めたてた。

 「ちゃんと正直に答えろ!さもないと罪が重くなるぞ!」

 「本当に知りません」

周信芳はそう言うと、黙って頭を垂れてしまった。検察官は面白くないので、審査官を残して出て行ってしまった。

 部屋の中には周信芳と審査官のふたり以外、誰もいなくなった。その審査官はさっきまでの厳しい態度とは打って変わって、穏やかに話し出した。

 「あなたはなぜ自分が『麒麟童』と呼ばれるようになったのか、私に話してくれませんか?」

周信芳はとても奇妙に思った。

 「それを聞いてどうするのですか?」

 「どうぞ答えて下さい。あとで教えますよ」

周信芳は頷いて、この芸名の由来を語り出した。

 清、光緒三十三年(1907)、周信芳が十二歳の時、上海に戻ってきて初めて劇団と契約した。芸名は「七齢童」。劇場はある書道家の先生を呼んで、看板を書いてもらうことにした。しかしその先生は「七齢童」と聞いたのを同じ発音の「麒麟童」と思い込んでササッと書き上げ、それをそのまま貼り出してしまった。

 その翌日、新聞はこぞって昨夜の麒麟童初めての上海公演成功を書きたてた。その記事を見て初めて周信芳は名前が間違っていることに気がついた。劇場は急いで訂正をしたが、観客からは「評判を聞いて麒麟童を見にきたんだ。七齢童じゃないぞ!」というクレームがどんどん来てしまった。それで仕方なく間違いをそのままにするしかなかった。劇団の座長も「この字はいいじゃないか」と言って、周信芳を連れてその書道家の先生の所にお礼に行ったのだった。

 審査官は話を聞き終わると周信芳に再び訊ねた。

 「その書道家の先生の名前はご存知ですか?」

 「苗字しか知りません。確か・・・王、だったと思います」

 「そうです。苗字は王。その人は私の曽祖父なのです。すでに他界しました。盧溝橋事件の年に。九十歳も過ぎて目も見えなくなっていましたが、曾おじいちゃんはあなたの唱が好きでずっと聴いていましたよ。曾おじいちゃんは死ぬ間際、私たちにこう言ったのです」

 (この中で誰か周信芳に会ったら必ず伝えてくれ。あなたはこの芸名に恥じないすばらしい俳優だった、と。わしはこの名前をつけたことをとても誇りに思っていた。あれからわしはあの人に会ったことはあった。でも相手は舞台の上で、有名人だ。そこへ会いに行ってこのことを話すのも不都合に思ってなあ・・・)

 「私は今、あなたにこれを伝えるいい機会だと思ったのです」

そう言い終わるや否や検察官が入ってきて、話はここで終わった。

 七十年のときを隔てて知ったことに対して、周信芳はとても感動し、興奮した。

 この夜、彼はいつもよりご飯を美味しく感じて、いつもより多く食べた。

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2002/09/07