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瞳 アップ

コラム―分析篇

映画から京劇 さらば、わが愛〜覇王別姫

 京劇というと、90年代世界を席捲した中国映画のこの作品を思い浮かべる人が多いと思います。中国の激動する時代に翻弄された京劇役者たちの人生を描いた映画です。

 監督の陳凱歌はインタビューで「モデルはいない」と言っていますが、やはりいろいろと連想させられます。

 まず、題名にもなっている「覇王別姫」は名優・梅蘭芳と楊小楼コンビの当たり演目。ほかに映画に出てくる「貴妃酔酒」は、いろいろな俳優によって演じられてきた中で梅蘭芳が演じたものが特にいい評判を得ました。今では「貴妃酔酒」と言えば梅(蘭芳)派のレパートリーというイメージが固定しています。

 この「貴妃酔酒」をはじめとした梅蘭芳が演じる演目の脚本を整理したり時代考証について助言を与えるなど、ブレインとなっていたのが斉如山という学者です。京劇の魅力は一般大衆はもちろんインテリも漏れなくとらえ、インテリと役者のコラボレーションが生まれたのでした。それによって芸術性の完成度が高くなり、京劇はさらなる飛躍をしたのです。名優には音楽監督の琴師と演出家のインテリがつきもの。

 これらのことから、レスリー・チャン演じる程蝶衣のモデルが梅蘭芳、チャン・フォンイー演じる段小楼のモデルは楊小楼(名前が似てますね)、グゥ・ヨウ演じる袁四爺のモデルが斉如山というのが思い浮かびます。

 「清代を知るには小説『紅楼夢』を読むのが一番いい」というのを聞いたことがあります。楽しみながら世界が開けて教養も深まるのは本当にうれしいものです。いい小説を読んだりいい映画を見たりするのは実に楽しいですね。

 この映画は北京と京劇の味がいっぱい散りばめられています。以下、ちょっと思いつくまま、私のわかる範囲でいろいろ挙げてみようと思います。 

<音楽篇>

 映画を通してよく奏でられている京胡の音色。場面の盛り上がりや、場面のつなぎで鳴っているのは西皮の小拉子をいろいろとアレンジしているものです。

 程蝶衣が「小豆子」、段小楼が「石頭」と呼ばれていた頃。劇団に入れるためにお母さんが指を切ったとき、練習が辛くて逃げ出した小豆子たちを引き止めなかった石頭が師匠に追いまわされているとき、また、小豆子が程蝶衣となってからアヘンを吸って恍惚としているとき。
 これらの場面のバックに流れる「ほあ〜ん」という不安げな響き。これは私が初めて長期滞在するために北京に来たその日、「疲れた〜」と何気なくベットで横になった途端、聞こえてきた音なのでした。「なんであの音が?誰か今あの映画見てるの??」と本気でビックリしてしまいました。どうも外から聞こえてくるようだったので窓を開けてキョロキョロしていたのですが、後で人から聞いたところによると、空を飛んでいる鳩の足についている喇叭の音だということでした。しょっちゅう耳にした寒空に響くあの音は、まさに北京の音と言えます。

 程蝶衣と段小楼が売れっ子になってから、「催場」という劇場の進行役がなかなか出てこない二人を急かしに来るシーン。そこで鳴っているのは「急急風」という「鑼鼓経」(銅鑼や太鼓の楽譜)のひとつで映画の中でもよく鳴っています。

 蝶衣が日本軍に捕まった小楼を救うために、日本軍将校・青木の前で唱った昆劇の「牡丹亭」のシーンは楽隊も映っています。昆劇と京劇の違いは楽器に出ています。昆劇は笛がメインで音域も低め、ゆったりまったりとした感じです。

 コン・リー演じる菊仙が首を吊って自殺してしまうシーンで、バックに流れている「聴nai[女+乃]nai[女+乃]講革命〜」という唱は革命現代京劇「紅灯記」のヒロイン・李鉄梅が自分の出生を聞かされて驚くところの唱です。

<科班篇>

 小豆子と石頭が学んだ「科班」(俳優養成所兼児童劇団)の名は「喜福成」。これを聞いて連想せずに入られないのが実際にあった「喜連成」です。多くの名優たちを輩出してきました。

 ぼろぼろな練習場所の上のほうには人物が複数描かれた長方形の大きい画が掛けられています。あれは「同光十三絶」です。京劇の黎明期である清代の同治、光緒年間に活躍した十三人の役者が描かれているものです。

 小豆子がレンガを積んで開脚させられて泣き喚いているそばで、石頭たちがやっているのは基本功のti[足+易]腿です。罰を受けるときに石頭が手にする魚の形の板は、芝居「蘇三起解」などで使われる罪人の首と手を拘束する枷です。

 首吊り自殺してしまう小癩子が、この世で一番美味しいものとして挙げていたサンザシは、今でも寒い時期になると売っています。バリバリな甘い蜜に酸っぱいサンザシの組み合わせは絶妙です。今ではバリエーションも増えて、ミカンや小豆の胡麻和えのものもあります。南方でも売られているようですが、「暖かいところだと蜜が溶け出して食べにくい。あれはやっぱり寒い北方の冬の風物詩だ」と友人が言っていました。北京は近年の目まぐるしい経済発展で空気がひどく汚れています。サンザシは大抵そのまま刺しっ放しの晒されている状態で売られているので北京ッ子でも「衛生的に心配だから買わない」と言っているのを聞くことがあります。

<業界用語・ことわざ篇>

 劇場支配人・那老板が喜福成科班に来るシーン。彼の目的は「堂会」です。これは昔、有力者が誕生日などの祝い事に人気の役者やお気に入りの役者、劇団を家に呼んで開かせた公演です。プライベートなものなので、主賓が好む演目をやったり、主賓が「票友」(自ら唱ったり、演じたりして芝居を楽しむアマチュア)となればお気に入りの役者と共演したりしました。

 その最たるものはやはり西太后が有名でしょう。無類の芝居好きだった彼女は頻繁に宮廷へ一流の役者たちを招き入れて夢の共演を繰り広げさせました。役者にとっても宮廷に入ることはこの上ない名誉であり、また、一流の役者たちがお互いに交流する絶好の機会でした。こうして京劇界はますます活性化し、国のお墨付きをもらったことで京劇はますます盛んになったというわけです。

 話を映画に戻します。この「堂会」の主賓である張宦官はあの西太后と一緒に観劇していたのだ、つまり、それほどの眼力を持つ彼を満足させるのに生半可な芸を見せたらただでは置かないと支配人は師匠たちに向って言っています。

 また、劇場支配人が小豆子の力量を見ようとするシーンで「男怕夜奔、女怕思凡」という業界のことわざを言って「思凡」の台詞を聞くところがあります。「怕」とは「おそれる」という意味です。「夜奔」は水滸伝の英雄・林冲がひたすら逃げる模様を演じる芝居です。衣装はシンプルで実にカッコいいです。でも、舞台の上でただひとり、ひたすら台詞、唱、動きをやるという芝居。つまりはそれだけ一挙手一投足に重みがあり、しっかりとした演技が出来ていないと場が持たないということなのです。「思凡」も舞台の上でたたひとり、「つまんないわ〜。私だって恋もしたいのに〜」と心の中を吐露するティーンエイジの尼さんの芝居です。これらは特に基本はもちろん力量がないと、「まだやってんの?」と観客が退屈してしまうという恐ろしいことになってしまう芝居です。

 蝶衣と菊仙が初めて顔を合わせて小楼をめぐって楽屋で対決(?)するシーン。「習ったことがないならくだらない芝居はやめることだね」と蝶衣が菊仙に冷ややかに言う台詞の中で使われる「洒狗血」(直訳すると『犬の血を撒き散らす』)という言葉は業界用語です。役者が観客から拍手を得ようとオーバーに演技をすることを意味します。役者ひとりが盛り上がって観客が退く、という寒い状態のことです(実際こういう役者います)。

 自暴自棄になってアヘンに溺れている蝶衣に劇場支配人が「ヒロインは手紙を焼くものですよ」と言うそのヒロインとは清代の小説「紅楼夢」のヒロイン・林黛玉のことです。京劇「黛玉葬花」という芝居は梅(蘭芳)派の代表作です。支配人が蝶衣の代わりに扇子を破ってしまうのも「紅楼夢」モノの芝居になぞらえています。

 現代京劇について蝶衣が芝居について語るところで、「声が歌になり動きが舞となる」と言うのに似ているものに、前掲の梅蘭芳のブレイン・斉如山の言った言葉で「有声必歌、無動不舞」というのがあります。京劇における演技の持つ音楽的、舞踊的表現の特徴のことを言っています。

<演技篇>

 京劇を演じた経験は全く無かったというレスリー・チャン。撮影が始まるかなり前から北京入りして準備をしたと聞きます。もともと持つスター性もあって、映画でさまになっていたと思います。

 小豆子がデビューする「覇王別姫」では韓冬柏が唱っています。彼女は梅蘭芳の息子・梅葆玖を師と仰ぎ、北京京劇院梅蘭芳京劇団に所属しています。石頭の役を演じていた費洋も北京京劇院所属で、よく孫悟空を演じる注目の若手武生です。程蝶衣として舞台に立ってからの唱は、北京京劇院の温如華が唱っています。紆余曲折がありましたが、今や貴重となった男旦(女形)です。男旦については後日また改めて話題にするとして、身体的に異なるとやはり唱も男女では色合いが違いますね。

 日本軍が北京を制圧した後、蝶衣が「貴妃酔酒」を演じているときにビラが上から降ってきて客席がザワザワしだすものの、それを全く気にすることなく芝居を続けるシーン。クルクル回って最後に体をひねってパタリと倒れる技を「臥魚」と言います。あくまでも私見ですが、少なくとも倒れるところは恐らくレスリー本人ではなく京劇のプロの俳優だと思われます。とにかくレスリー・チャンはキレイですね。

 最後に関係ないのですが、演劇界の大物・袁四爺を演じるグゥ・ヨウ(葛優)は実際に中国芸能界における大物俳優です。小楼と菊仙との結婚を決めて蝶衣がショックを受けてグッタリと座っているところに、芝居で使う長い美しい羽・ling[令+羽]子を持って出てくる袁せんせい。この爬虫類を思わせる動きに毎回思わず笑ってしまうのは私だけでしょうか。

関連ページ→[舞台人物と衣装ファイル 虞姫][京劇の基礎知識 目次][歴代の主な京劇俳優一覧 目次][演目のあらすじ 目次]

映画データ

さらば、わが愛〜覇王別姫

原題「覇王別姫」
出演 レスリー・チャン(張国栄)、コン・リー(鞏俐)、チャン・フォンイー(張豊毅)

1993年カンヌ国際映画祭パルムドール賞受賞
1993
年度ロサンゼルス映画批評家協会賞外国語映画賞受賞
1993年度ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞・助演女優賞受賞
1993年度ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞受賞
 

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2002/10/02