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コラム―舞台論

舞台と映像

 昔の名優たちの舞台は残念ながら見ることはかないません。タイムマシンがあるなら見に行きたいなあとは思います。現在はその当時の録音が残っていたり、それをもとに作った「音配像」などがあります。でも、録音状態がいいと言えないものが多いです。清末の譚xin[金×3]培(1847-1917)の録音となれば、もう存在自体が有り難い感じです。

 名優の唱声はとにかく、昔の楽器のキコキコした音には思わず笑ってしまいます。京劇の発展と同じく楽器も時代と共に発展していて、楽器の音色は今と異なるのです。上海のある音楽関係の会社では昔の名優の唱声はそのまま、楽器の音は現在のものを入れ直して発売しているところがあります。

 録音のほかにも、昔の名優たちの映像が戯曲映画として残っています。

 中華人民共和国成立後、ところどころで主役を張っていたスターたちが新国家の理想のもとに集い、次々と合作が生まれました。今で言うならアカデミー賞授賞式に出席するハリウッドのセレブの面々がそのまま同じ映画に総出演したということでしょうか。そのひとつに「秦香蓮」という演目があります。それは今でも店頭で売られています。

 張君秋(1920-1997)、タイトルロールのヒロイン秦香蓮を演じるこの人はやはり「天才」です。あの唱声は男旦ならではで、女性ではこれほどの力強さはでないでしょう。ナマではなく映像となってもこのパワーを持っているのはすごいです。絶頂期をナマできいた人たちはどれほど興奮したのでしょう。
 将来を嘱望されたホープとして声も見目もよかった馬長礼(1930-)、飄々とした芸風が実によく現れていてカッコイイ馬連良(1901-1966)、今でも背筋がピッとしてとてもご高齢には見えないのですが、このときもアクションスターのようなスタイルの譚元寿(1928-)。
 包公役の裘盛戎(1915-1971)は張君秋に負けないくらいノドがよくて惚れ惚れします。が、正直言ってコワイです。というのも、実にリアルな宮中の様子の背景に顔が真っ黒で目が異様にぎょろぎょろしたモノがうなっているさまはなにや恐ろしいのです。そもそも臉譜は象徴的なもの。この怖さの正体はリアルなものの中にある写意的なものという取り合わせからくる違和感なのです。実際に舞台に立つ包公の姿はカワイイとすら思うのですが。

 リアルさが邪魔、という例は他にもあります。

 上海の名優・周信芳(1895-1975)の映像「烏龍院」は彼の代表作です。でもその映像も舞台ではなく、テレビドラマのようにセットが実際に組まれているものです。階段を上り下りなど、実際に何もないところを動きで表すという本来ならまさに俳優のワザの見せ所となるところもいたって普通です。舞台でみるほどの効果なんてありません。
 これの他にも「徐策pao[足+包]城」という芝居も撮っています。徐策が興奮してうたいながら駆け回るシーンが見所なのですが、リアルなセットのなかでアングルもくるくる変わると、本来持つ味とは全く別物のようです。

 私は京劇を映像に残すのは大賛成ですが、舞台ではないテレビドラマのようなリアルなセットについては懐疑的です。保守的なつもりはないのですが、京劇の京劇たる程式(決まり)にもとる、つまり京劇ではなくなってしまうのです。モノが持つよさを生かすべきであってなくすべきではないでしょう。

 舞台は舞台のままがいいです。さらに、生きている一瞬をその場で描く舞台だからこそナマで見たいとも思います。

関連ページ→[コラム―トピックス 名舞台を残す〜中国京劇音配像シリーズ][歴代の主な京劇俳優一覧 目次][演目のあらすじ 目次]

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2002/09/14